「玉造稲荷神社」は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋に作られたと言われています。
それから、蘇我氏と物部氏が争っている際、蘇我氏側の「聖徳太子」が、玉作岡に陣を敷き戦勝を祈った所、戦勝したと伝えられてもいます。その後、天正4年(1576年)の兵乱により、焼けてしまいましたが、慶長8年(1603年)に「豊臣秀頼」により社殿などが建てられました。
その後は、「豊津稲荷神社」として豊臣・徳川時代の「大坂城の守護神」として崇敬されていたようです。その後、戦禍を被るなどしましたが、戦後より「玉造稲荷神社」となり、現在に至っています。なお、現在の社殿は昭和29年(1954年)に建てられたものだそうです。 他にも、笑いに関して、この神社には言われていることがあります。 この神社は、かつて「エンタツ・アチャコ」が稽古をしていた場所と言われています。 「日の出通商店街」に存在した「三光館」に出演していた事から、その前に稽古をしていたようです。
更に、写真はありませんが、「エンタツ・アチャコ」を育てたと言われている漫才作家である「秋田實」の碑があるようです。漫才の父とも呼ばれている方です。この事に関しては、またいずれという事で。 さらに、興味深いものがありました。なんと、上半分しかない鳥居です。
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