【大阪】玉造稲荷神社

時間:2010年5月7日

場所:大阪府大阪市中央区玉造2丁目3番8号

営業時間:日の出~日没

定休日:なし

料金:無料

交通アクセス1:大阪市営地下鉄 長堀鶴見緑地線「玉造駅」徒歩8分

交通アクセス2:JR 大阪環状線「玉造駅」徒歩10分

交通アクセス3:大阪市営地下鉄 長堀鶴見緑地線・中央線「森ノ宮駅」徒歩8分

交通アクセス4:JR 大阪環状線「森ノ宮駅」徒歩9分

HP:http://www.inari.or.jp/menu.html

自宅近くにある「玉造稲荷神社」にやって来ました。大きな神社ではありませんが、落ち着いた雰囲気の神社です。

玉造稲荷神社」は、垂仁天皇18年(紀元前12年)の秋に作られたと言われています。 それから、蘇我氏と物部氏が争っている際、蘇我氏側の「聖徳太子」が、玉作岡に陣を敷き戦勝を祈った所、戦勝したと伝えられてもいます。その後、天正4年(1576年)の兵乱により、焼けてしまいましたが、慶長8年(1603年)に「豊臣秀頼」により社殿などが建てられました。

その後は、「豊津稲荷神社」として豊臣・徳川時代の「大坂城の守護神」として崇敬されていたようです。その後、戦禍を被るなどしましたが、戦後より「玉造稲荷神社」となり、現在に至っています。なお、現在の社殿は昭和29年(1954年)に建てられたものだそうです。 他にも、笑いに関して、この神社には言われていることがあります。 この神社は、かつて「エンタツ・アチャコ」が稽古をしていた場所と言われています。 「日の出通商店街」に存在した「三光館」に出演していた事から、その前に稽古をしていたようです。

更に、写真はありませんが、「エンタツ・アチャコ」を育てたと言われている漫才作家である「秋田實」の碑があるようです。漫才の父とも呼ばれている方です。この事に関しては、またいずれという事で。 さらに、興味深いものがありました。なんと、上半分しかない鳥居です。

さて、見ただけでは謎しか浮かんでこない鳥居ですが、慶長8年(1603年)に「豊臣秀頼」により、社殿が再建された時に奉納された鳥居だそうです。 その後、「阪神・淡路大震災」により下半分が壊れてしまった事から、境内に上半分が置かれているとの事です。 このような、非常に歴史のある神社です。他にも多くの石碑などがあるようですので、是非訪れてみて下さい。

TETSUの旅のぶるる

突然、旅行・観光に目覚めたTETSUが旅行した観光したスポットや食事をしたお店を紹介しています。 有名観光地や、身近な場所にあるお寺や神社、公園など。食事は近所のファストフードから、ちょっと敷居の高いお店まで。 料理の感想は、好み、味の感じ方など個人により差があるので、参考程度にして頂ければと思います。 現在、本サイトへの記事移行・修正作業中のため、一部更新が遅いことがございます

0コメント

  • 1000 / 1000