【岡山】造山古墳

時間:2010年5月14日

場所:岡山県岡山市北区新庄下

営業時間:24時間入場可能

定休日:なし

料金:無料

交通アクセス:JR 吉備線「備中高松駅」徒歩35分 HP:http://www.city.okayama.jp/museum/okayama-history/07tsukuriyama-kofun.htm

吉備路自転車道」を更に進み、次にやってきたのは「造山古墳」です。 この古墳は、岡山県では1番の規模で、全国的に見ても4番目の規模の古墳です。そして、自由に立ち入る事の出来る古墳としては、最大となります。

全長は350メートル、後円部径200メートル、高さ24メートル、前方部幅215メートルの前方後円墳です。 大正10年(1921年)に、周辺の陪塚(大型の古墳の周りにある小さな古墳群)と共に、「造山古墳 第一、二、三、四、五、六古墳」として、国指定の「史跡」となりました。

古墳自体の内部は、未発掘であるため、誰が埋葬されているのかは判明していませんが、古墳の規模などから、非常に高い地位にあったのではないかと考えられます。 そのような場所ですが、最初場所が中々分かりませんでした。写真で一度見てはいたのですが、似たような場所もあったので、少し迷いました。実際はこのような感じで、一見古墳というよりは、丘といった感じでしょうか。

ふもとに駐車場があり、案内もあります。今回は駐車場に自転車を置いて、歩いて古墳に突入します。ふもとの駐車場にある石には「造山古墳」と書いてあります。
駐車場より、少しだけ歩いた場所から古墳に上がる道があります。「造山古墳」自体もすぐ目の前に見えている事から、迷うような道ではなかったです。
緑が非常に豊という印象を受ける場所です。上がって行くと、前方後円墳の前方部分に着きます。
前方部分の墳丘は破壊されており、その破壊された跡に、神社のようなものが建てられています。 「荒神社」という神社だそうで、周辺の集落の神社だそうです。さらに、その神社の鐘の側に、棺があります。
一応屋根がある所に置かれていますが、普通に触る事も出来ますし、特に何も注意書きなどもありません。 この棺ですが、ある時期に盗掘、乱掘されたものだと推測され、別の古墳より運ばれたものとも言われています。しかし、前方部から出てきたものだという声もあるようです。 前方部を見た後は、後円部へと行きました。山道のようになっていますが、一応道がありますので、古墳の上を歩いて移動します。
後円部には、後円部に登る道や掘割墓道が設けられていたと推定されるようですが、中世末には城砦となっていたことから、大部分が作り直されていると言われています。後円部の頂きは、平坦であり、斜面の傾斜が強くなっているようです。後円部からは、形象埴輪と円筒埴輪が多数採集されています。ちなみに、平坦部は、「羽柴秀吉」の毛利攻めの際に、毛利方が陣地を設けるために、頂上を平らにしたのではないかと考えられています。 歩いて振り返ってみると、前方後円墳なんだと感じます。
高い位置にある事から、周りの眺めも中々です。
この「造山古墳」の周辺には、陪塚があると先ほど書きましたが、その仲の第5号である「千足古墳」は、全長75m、三段築成の前方後円墳であり、吉備地方で最も古い形式の横穴式石室が築かれ、石室内には直弧文が刻まれた石障(装飾石材)があります。 それらを見て、スゴイ古墳なんだなと感じながら、ふもとに降りました。 ふもとの駐車場には、「吉備の大王」という彫刻作品があります。
西平孝史さん」の作品だそうで、平成21年(2009年)に造られたとのことです。 実は今回の旅は、テレビでこの彫刻を見て、生で見てみたいと思ったからする事にしました。

顔のアップは、このような感じです。りりしいと言った感じでしょうか? 日本で4番目の大きさで、人が自由に入る事の出来る古墳としては日本一! 歴史のある、珍しい場所ですので、是非行ってみて下さい。 なお私自身、こちらの駐車場に自転車を止めて、見終えて出発すると自転車がパンクしていたというアクシデントにあいました。。。かなりの進行速度遅れとなりました。今後どうなったのかは、次の記事に続きます。。。

TETSUの旅のぶるる

突然、旅行・観光に目覚めたTETSUが旅行した観光したスポットや食事をしたお店を紹介しています。 有名観光地や、身近な場所にあるお寺や神社、公園など。食事は近所のファストフードから、ちょっと敷居の高いお店まで。 料理の感想は、好み、味の感じ方など個人により差があるので、参考程度にして頂ければと思います。 現在、本サイトへの記事移行・修正作業中のため、一部更新が遅いことがございます

0コメント

  • 1000 / 1000