【岡山】吉備津彦神社

時間:2010年5月14日

場所:岡山県岡山市北区一宮1043

営業時間:午前8時30分~午後5時

定休日:なし

料金:無料

交通アクセス:JR 吉備線「備前一宮駅」徒歩3分

HP:http://www.kibitsuhiko.or.jp/

吉備路自転車道」の長い道のりを自転車でこいで、ようやく今回のスタート地点であった 「吉備津彦神社」まで帰ってきました。 こちらの神社は、子供の時から何度も来た事がある場所で、「御田植祭」というのが毎年8月2日と3日にあり、 昔は毎年行っていました。 まず、こちらが鳥居と参道です。

参道横には池がありますが、昔この池に変な生き物がいるという噂があり、 メディアにも取り上げられた事がありました。
さて、こちらの神社の創建ですが、社伝によりますと「推古天皇」の時代だったそうですが、初見の記事は平安時代後期だそうです。 起源としては、「吉備津彦命」の住居跡に社殿が創建されたという事だそうです。 そのため「吉備津神社」と同じく「吉備津彦命」を主祭神として祀っています。 古代よりご神体として崇められている、豊かな自然と神秘の宿る「吉備の中山」のふもとに鎮座している神社です。 しかしながら、戦国時代には現在の岡山県岡山市北区御津金川にある、 金川城主であった「松田元成」による焼き討ちに遭い社殿を焼失しました。 

その後は「宇喜多直家」が崇敬し、高松城水攻めの際には「羽柴秀吉」も武運を祈願したと伝えられています。 さらに、岡山藩主である「池田忠雄」によって本社・拝殿が造営されました。 ちなみに「池田忠雄」は、「岡山城」の実質的な完成者であり「徳川家康」の孫でもあります。 さらに、「池田綱政」が「岡山県指定重要文化財」にもなっている本殿を造営し、元禄10年(1967年)に本殿渡殿・釣殿・祭文殿拝殿と連なった社殿を完成させたようです。 しかしながら、昭和5年(1930年)12月に、失火により本殿随陣門以外の社殿と回廊を焼失してしまいました。そのため、現在の社殿は昭和11年(1936年)に完成したものです。 こちらが一度焼失した随陣門です。

随陣門をくぐると、拝殿が見えてきます。

本殿は、拝殿の裏手にあります。その他、敷地内に多くの神社があります。 岡山の歴史を知る上で大切な場所であり、歴史ある神社です。

TETSUの旅のぶるる

突然、旅行・観光に目覚めたTETSUが旅行した観光したスポットや食事をしたお店を紹介しています。 有名観光地や、身近な場所にあるお寺や神社、公園など。食事は近所のファストフードから、ちょっと敷居の高いお店まで。 料理の感想は、好み、味の感じ方など個人により差があるので、参考程度にして頂ければと思います。 現在、本サイトへの記事移行・修正作業中のため、一部更新が遅いことがございます

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