営業時間:午前8時30分~午後5時(冬季は午前9時~午後4時30分)
定休日:年中無休
料金:¥500
交通アクセス:京都市営バス「銀閣寺前」徒歩6分
HP:http://www.shokoku-ji.or.jp/ginkakuji/
「哲学の道」を抜け「慈照寺(銀閣寺)」にやって来ました。「鹿苑寺(金閣寺)」は小学校の修学旅行で来た事はありますが、「慈照寺(銀閣寺)」は初めてです。
「慈照寺(銀閣寺)」ですが、正式名称が"慈照寺"と言い、通称が"銀閣寺"といいます。
その「慈照寺(銀閣寺)」は、室町幕府8代将軍の「足利義政」が3代将軍の「足利義満」が建てた「鹿苑寺(金閣寺)」を参考にし、文明14年(1482年)に、「応仁の乱」に焼けたままになっていた「浄土寺」の跡地である、東山の「月待山麓」に「東山殿」の造営を始めました。
「足利義政」は、建築を始めた翌年である文明15年(1483年)にはその場所に移り住み、別荘としての使用の他、表向きの仕事にも使っていたようです。
当時、京都は「応仁の乱」が終了した直後という事もあり、経済が疲弊していましたが、「足利義政」は庶民に税金や労役を課し、その一方で「東山殿」の造営を進め、書画や茶の湯に親しむ風流な生活を送っていたようです。
造営を進めた結果、「会所」「常御所」といった大規模な建物が建ち並びました。
そうして、「足利義政」が亡くなる直前まで8年に渡り造営が進められましたが、結局「東山殿」の完成を待たずして、「足利義政」は延徳2年(1490年)に亡くなりました。
それから、「足利義政」を弔うため「東山殿」は寺に改められる事となり、「相国寺」の末寺として「慈照寺(銀閣寺)」が創建されました。
大規模な建物が建ち並んでいたようですが、現存するのは「銀閣(観音殿)」と「東求堂」だけです。
さて、そのような歴史ある場所に足を踏み入れると、いきなり見えるのが「銀閣(観音殿)」です。
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